2017年10月07日(土)

「というのは、肉の思いは神に対して反抗するものだからです。そ れは神の律法に服従しません。いや、服従できないのです」ローマ 8:7 



この御言葉によると、私たちの内にある肉は、神に反抗するとある。
肉は、神を求めず、反抗すると。そんなものが、自分の内にあると
知っておくことは大切だ。だから、砕かれる必要がある。肉は、自
分が中心だ。自分の思い、自分の考え、価値観が大切だ。しっかり
握って、捨てることをしない。自分を軸に、回して行こうとする。

御言葉を聞く時も、いつも同時に自分の思いが来る。御言葉をこと
ごとく自分の思いをもって相対する。「愛されている」「そんなは
ずはない」「必要は満たされる」「満たされるなど、どうやって?
信じられない」「神は導く」「見たところ無理だ」・・。自分の思い
が、御言葉をはね除け、御言葉を捨ててしまう。

「みことばをあなたがたの内にとどめていない。父が遣わした者を
あなたがたが信じないからだ」の言葉の通りだ。なかなか御言葉と
同時に来る、自分の思い、肉の思いに気づかない。いつもそうなの
で、意識する事もない。御霊は気づきを与えて下さる。御言葉をど
のように聞いているか、御霊に心探っていただこう。

絶えず肉の思いの方を選び取っていることに、気づかせられる。そ
こで悔い改め、ありのままを祈って行こう。「愛されていると思え
ません」「必要が満たされると信じていません」「導かれると思え
ません」・・・その時、必ず主から次の展開へと進ませられ、自分が
変えられて、導かれて行く。

・・・・・・・・・・・
御言葉を聞く時、意識していると、正反対の思いが出て来るのがわ
かる。「ほんとうに?」背後のサタンが、肉の思いと一つになって
逆の方向へと誘う。疑いも、不信仰も、あるがまま主のもとへ祈り
に持って行く時に、主が働かれ、信仰へと変えられて行く。