2018年06月06日(水)

「あの方は盛んになり私は衰えなければなりません」ヨハネ3:30



ヨハネの弟子たちは、自分たちの師のヨハネから、主に、人気が移
るのを見て、妬みを抱いた。妬みは誰しもが持つやっかいな感情だ。
人が賞賛を受けると妬む。ライバルが良い成績を上げると妬み、同
僚に先に出世されると嫉妬を感じる。妬みは誰しもに、根深く巣く
う罪だ。

主を十字架につけたのも、祭司長たちの妬みであり、カインはアベ
ルを妬んで殺害し、サウルがダビデを殺そうとしたのも妬みのゆえ
だ。ヨハネの弟子たちも同様に妬んだ。それに答えたヨハネの言葉
が、私たちへの答えだ。「人は天から与えられなければ、何も受け
ることができない」人々が主のもとへ行くのは、神の御心ゆえだと。

神がそうしておられるのだからと、ヨハネは受け入れている。そし
て、自分はその主を証しするために来たと。結婚式での主役は花嫁
花婿だ。介添人は彼らより目立ってはいけない。引き立て役だ。花
婿の友人は、花婿が花嫁を迎えるのを見て喜ぶ。

ヨハネは、皆が主のもとへ行く事を喜ぶと言った。そして主が来た
るべきキリストだと証しし、それが自らに与えられた使命であり、
務めであると悟っていた。「あの方は盛んになり私は衰えなければ
ならない」自我は、自分が主役でいたい。人より上であり、賞賛を
受けたい。しかしそこに真の満たしは無い。

絶えず人を評価が気になり、恐れ、ますます不安と恐れのとりこに
なって行く。そうでなく私たちは、主が崇められる時に初めて、自
分に真の喜びと平安と満足が来る。御霊による喜びだ。今、必要な
のは、御前にへりくだる事だろうか。
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自分が褒められることは嬉しいが、人の評価が自分の中に大きくな
る時、自己満足の偽らない思いを主に明け渡そう。気づけることが
感謝だ。主が望まれることを主に委ねていける。