2018年08月07日(火)

「あなたがたは心を騒がしてはなりません。神を信じ、またわたしを信じなさい」ヨハネ14:1



私たちは信仰人生で、様々な事態に遭遇する。時に、思いもよらな
い不意の事態にでくわす。突然の経済的苦境、倒産だったり、リス
トラだったり、想定外の多額の出費だったり、又、病気やけがをす
る。事故に会ったりする。対人関係で苦しんだり、一生懸命努力し
勉強したのに、入学試験や入社試験に不合格だったりする。

そんな時、私達は「なぜ?」「どうして?」と戸惑う。主には与え
る事ができたのにと。しかし雀一羽さえ父のお許しなしには、地に
落ちることはない。頭の毛さえも、みな数えられていると。又、主
が捕らえられ時、主は「わたしが父にお願いして、十二軍団よりも
多くの御使いを、今わたしの配下に置いていただくことができない
とでも思うのですか」と言われた。

神に不可能は一つもない。何でもお出来になる。その許しの中で、
起きている出来事だ。一見、負の事だが、教えようとされている事
があり、メッセージがある。学ばせたい事はあるが、あるいはヨブ
の場合のように、「理由」は明らかにされない事もある。信仰を用
いて、信仰の目で見るようにされる。

なぜだか、わからない事もある。理解不能な中でこそ、私達は神に
「信頼」を献げることができる。今、真っ暗なトンネルの中だろう
か。見えない中で、何がどうなっているのか、理解できないが、神
を「信頼」する事、これを神は喜ばれる。信じる事を求められてい
る。「信頼」をお献げしよう。
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なぜ、どうしてと心は騒ぐが、その思いも神に差し出していこう。
全ての災いと思える事も御神を通って来ると深い信頼の中で、今の
必要な助けを祈ろう。