2018年09月06日(木)

「あなたの神、主を心に据えなさい」申命記8:18



モーセに導かれて、出エジプトを果たしたイスラエルの民は、乳と
蜜の流れる地を目指して前進し、神を信仰し歩んで来た。その約束
の地、カナンに入れば、信仰は必要無いのかというと、決してそう
ではない。良い地に入って、食べて満ち足りた後も、「主の命令を
守って、その道に歩み、主を恐れなさい」と。

神を信じて生きるのは、何かを貰うためではなく、それ自体が目的
だからだ。ある婦人が子供が欲しくて、祈りに祈って、不妊治療に
も通っていた。どうしても欲しい、余りにも強い願望に、ある時、
神からもぎ取ろうとしている自分の姿に、悔いくずおれた。このま
ま行けば、子供さえ得られるなら、手段は何でも良い事になってし
まう。

突き詰めれば「ひれ伏して私を拝むなら、これを全部あげよう」と
のサタンでもよいという事になってしまう。恐ろしくなり、心底悔
い改めて、明け渡した。心に平安が満ちた。しばしば間違ってしま
う。信仰を、自分が良く生きるための、又、何かを得るための、手
段にしてしまう。すると、何もかもが的はずれになってしまう。

自分の自己実現の手段、喜びのための手段、問題解決の手段、それ
なら、自分の思い通り、期待通りでない時に、必ずつまずいて、失
望し、神から離れる事になる。何かを与えられようと、与えられま
いと、神ご自身を信じて生きる事、神を喜ぶ事、神を礼拝して生き
る事、これが目的だ。
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結果を主に手渡そう。祈っていても平安が無いとき、自分の望む結
果に向けて祈っていることがある。主を心に据え今日の一歩の導き
を受け取ろう。