2019年03月07日(木) 「彼らは涙の谷を過ぎるときも、そこを泉のわく所とします。初めの雨もまたそこを祝福でおおいます。彼らは、力から力へと進み、シオンにおいて、神の御前に現われます」詩篇84:6
「彼らは涙の谷を過ぎるときも、そこを泉のわく所とします。初めの雨もまたそこを祝福でおおいます。彼らは、力から力へと進み、シオンにおいて、神の御前に現われます」詩篇84:6
私たちは、様々な苦しみを経験する。辛い悲しみの涙の谷も通る。 理不尽な事、理解不能な事に遭遇する。それはクリスチャンにもノ ンクリスチャンにも同じように起こる。しかし神を信じる人々は、 どんな辛く悲しい事の中にも、神を認めて行く。そしてそこに神が おられるので、神の愛、慈しみを体験して行く。 神を信じない人は、どんなに素晴らしい事があっても、そこに神を 認める事は無いし、感謝も無い。ただの偶然だ。そこの違いだ。信 仰者はどんな出来事が起きても、そこに神を認め、神の愛を認める。 深い涙の谷を泉の湧く所とし、その中に神を見、神に出会って行く。 ある人は、成績がトップクラスで高校受験合格間違い無しだった。 しかし驚いた事に不合格だった。初めて大きな挫折を経験した。第 二志望へと進んだ。砕きは、泉の湧く所とされた。神に近づけられ、 学校ではリーダーシップを発揮し、聖書の同好会を発足した。救わ れる同級生が起こされた。苦しみ、悲しみ、挫折、行き詰まり、も うだめだと思うそここそが、泉の湧く所とされる。 そこでこそ真に神に出会うからだ。その痛みの中で、主を仰ぐなら、 いやし主である主を味わい知る。何も、どうにも出来ない、なすす べのない、弱さと無力の極みにある時こそが、実は主に近い。大き な祝福へと展開して行く。泉の湧く所とされる。 --------------- 私達は涙の谷にこそ神の恵みが注がれることを知っている。闇の中 にこそ主の真理の光を見る。そして慰めを受け、力を得てまた引き 上げられていく。