2019年05月07日(火) 「ほむべきかな。日々、私たちのために、重荷をになわれる主。私たちの救いであられる神」詩篇68:19
「ほむべきかな。日々、私たちのために、重荷をになわれる主。私たちの救いであられる神」詩篇68:19
重荷を委ねたら良いのはわかるのだが、委ねる事ができない、どう しても出来ないとよく聞く。「委ねる」とは、石を転がすというよ うな意味で、主の上に、あなたの重石である重荷を転がしてしまう ことだ。石を転がすと、その転がした石はどうなるのか。それは主 の上にあって、自分のもとにはもう無い。 そのように、主にきっぱりと手放してしまうことだ。すると思い煩 いが消えてしまう。不安が失せて、平安が心に満ちる。経験した事 があるだろうか。重荷が、心配事が、主の手に渡ってしまうからだ。 ところが、委ねたつもりでも、自分が握っているなら、いつまでも 不安は消えない。平安にならない。 委ねた「つもり」で、実は明け渡していない。自分が手を放すと、 どうなってしまうのかと不安でたまらず、どうしても放す事ができ ない。つまり主を信じることができない。自分が手放すと、すべて がだめになってしまうように、崩壊してしまうように思える。だか ら放せない。問題が「不信仰」「信じる事ができない」ところにあ るなら、その事を主に打ち明け、助けを求めよう。 自分の思い通りにしたいという時も、委ねられない。委ねると自分 の思いが通らないからだ。委ねるとは、「イエス」でも「ノー」で も、どちらでもOKです、との態度だ。その事に執着しているなら 委ねられない。御霊に心を探っていただいて、主の助けを求めよう。 主は委ねさせて下さる。 ------------- 私たちの背後には常に共に戦ってくださる主がいる。主に問題を委 ねられないのは何故か、ゆずれないものは何だろう。握ってるもの を主に渡せるように祈ろう。