2019年12月07日(土)

「招待される者は多いが、選ばれる者は少ないのです」マタイ22: 14


王が、王子の結婚の披露宴を設けた。しかし招待した客は、皆、断
って来た。神の事、永遠の事より、今の地上の事柄が心を占め、目
の前の事に心を奪われてしまう。王や王子の祝宴など二の次であっ
て、大切なものが、畑であり、商売であり、この世の事だ。まして
や他の者たちは王の使いを殺してしまった。

招いた者たちはふさわしくなかったので、王は、大通りに出て行き、
出会った者を誰でも招くよう命令した。片っぱしから呼んで来たの
で、宴会場はいっぱいになった。ところが、そこに婚礼の礼服を着
ていない客が一人いた。王は怒って、外に放り出した。大通りで、
突然呼ばれるわけで、誰も礼服など持ち合わせていない。

この礼服は、すべて主催者側で用意されていた。だから放り出され
た人は、王の礼服を故意に着用せず、意識して拒否したことになる。
自分の服の方が良いと思ったのかも知れない。彼は、大通りで招か
れ、招きは拒まず、やって来たのだが、王の前に出る「礼服」は自
らの意志で拒んだ。「招待される者は多いが、選ばれる者は少な
い」この客のようだろうか。

自分の服で、自分を着飾りたい。どこまでも自分の力、自分の功績
を捨てない。捨てたくない。自分の良い行ないで、自分の力で義と
認められようとする事だ。主の考えより、自分の考えを正しいとす
るなら、主を拒否する事になる。それは礼服を拒む事だ。王の礼服、
義の衣、主キリストを受け入れ、自分の身に着て、主と一つとなり
従って行こう。そして披露宴の大きな喜びと楽しみにあずかろう。

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狭い門から入れと。ただただあわれみによって救いに入れられた事
はどんなに感謝してもしきれない。又、私たちは救いを着せて頂い
たが「気にもかけず」自分の楽しみや利得へと、畑や商売に忙しい
だろうか。気づかされ、主の祝宴の食卓の溢れる喜びにあずかろう。