2020年03月07日(土)

「御国のことばを聞いても悟らないと、悪い者が来て、その人の心 に蒔かれたものを奪って行きます。道ばたに蒔かれるとは。このよ うな人のことです」マタイ13:19


主は、私たちに御声をかけ、御言葉を通して、御心を示そうとし続
けて下さっている。私たちは、メッセージを毎週聞いているのに、
なぜ自分の事として聞こえないのだろう。物理的には、耳に聞こえ
ているが、心の耳に聞こえていない。聞きたくないというわけでは
ないのだが。むしろ拒否するなら、自覚がありわかりやすいが、拒
否するでもなく、何となく聞いている。

傍観者のように、他人事のように聞いていると、御言葉の種が心に
落ちる前に、サタンに奪われると言っている。御言葉を拒否する気
は無いので、むしろ気づかない。右から左に流れて行く。なぜ聞こ
えないのだろう。真剣に受け取るつもりがない、つまり心の深い所
では従うつもりが無い。聞く事は支障がないので、良いお話と聞く
が、犠牲は払いたくないので、心が受け取らない。

そこで他人事のように聞いてしまう。犠牲が必要な御言葉は、無意
識に退けてしまう。御言葉が、心にぐいぐいと入って来る時は、自
分が従おうとしている時だ。御声に従い、自分が変わろうとの思い
がある時に、御言葉が心に強く響いて来る。主の言っておられる事
がわかる。

種蒔きの例えの土地は心だ。自分の側の心の態度は重要だ。表向き
は御言葉を聞いているが、心の奥では拒んでいたりする。無意識か
も知れないし、うすうす感じているかも知れない。あなたの心はど
うだろう。実は聞こえては困るのだろうか。成長は気づきから始ま
る。御霊の働きだ。今まで忍耐を持って導き、どんな時も変わらぬ
愛で愛し慈しみ続けて下さった主を覚え、今こそ従おう。

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心が、ぼお〜っとしていたり、よどんでいる時には、御言葉が入ら
ない。心が他に向いている時にも入らない。そんな時は、ありのま
まの状態を言おう。まず主に向いて祈る事を喜んで下さる。御霊が
心を探り、導いて下さる。渇きも与え、求める心を与えて下さる。