2020年06月06日(土)

「肉体に一つのとげを与えられました。それは私が高ぶることのな いように、私を打つための、サタンの使いです」Uコリント12:7



パウロは、かつて人類の誰もした事のない、第三の天にまで引き上
げられるという特別な体験をした。人間には語る事を許されていな
い、口に出す事の出来ない言葉を聞いた。特にパウロにだけに許さ
れた、特殊な体験だ。そのパウロに、肉体に一つのとげが与えられ
た。それはサタンからのとげであり、非常な苦痛を伴うものだった。

だがそれは、パウロが特別な霊的経験で高ぶる事が無いようにと、
神が許されたものだった。信仰生活において最大の危険が高慢であ
り、それも霊的な高慢だ。肉の高慢は悔い改めることができるが、
霊的高慢は悔い改める事が難しい。なぜなら自分は正しいと信じ込
むからだ。最も恐ろしいかも知れない。この霊的高慢から守られる
ためのとげだった。

明けの明星が、天から落ちてサタンとなったのも高慢のゆえだった。
パウロは非常な苦痛に、とげが除かれるようにと切に祈った。しか
し主の答えは、とげがある事により高慢から守られ、主にすがる事
ができ、更にキリストの力におおわれると。弱さの中にこそ主の臨
在があり、ずっと臨在の中に生きて行けるというものだった。

私たちもパウロと形は違うが、とげが与えられているだろうか。ま
ず祈る事は大切だ。パウロも祈ったからこそ、弱さの中に神の力が
完全に現れるという真理と、主のご計画を知らされた。私たちも振
り返る時に、あの苦しみこの痛みがあったからこそ、高慢から守ら
れたのではないだろうか。主の深い、測り知れないご計画を思う。

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よく証しを耳にする。苦しく辛い試練だったが、あの試練によって
高慢から守られた。あの試練が無ければ、どんなに高慢になり、恐
ろしい事になっていたかと。苦しみにより、へりくだらされ、高慢
から守られる。結果的にどんなに感謝しても、しきれない。