2020年09月06日(日) 「苦い根が芽を出して悩ましたり、これによって多くの人が汚され たりすることのないように」ヘブル12:15
「苦い根が芽を出して悩ましたり、これによって多くの人が汚され たりすることのないように」ヘブル12:15
信仰生活の中で、苦い心を抱くことを経験するだろうか。怒りや憤 り、妬み、憎しみ、赦せない思い・・対人関係の中で、行き違いがあ った時に、生まれて来る。御言葉は「無慈悲、憤り、怒り、叫び、 そしりなどを、いっさいの悪意とともに、みな捨て去りなさい」、 「あなたがたも、すべてこれらのこと、すなわち、怒り、憤り、 悪意、そしり、あなたがたの口から出る恥ずべきことばを、捨てて しまいなさい」と言っている。 相手だけでなく、こちらにも非がある場合はわかるのだが、全くの 理不尽で、不当な扱いを受けた時に、どうしても怒りが湧き、処罰 感情が抑えられない。生まれつきの性質は、赦すどころか、何倍に もして報復したい。復讐したいのだ。しかしその場合も、苦しいの は自分だけだ。 嫌な思い、裁く思い、赦せない思いに、辛くてたまらないのは自分 だ。一人相撲で自分の心がどんどん浸蝕され、むしばまれて行く。 それは身体にもきて、体調まで崩したりする。主は「捨て去りなさ い」と。それを主にゆだねるようにと。処罰感情に支配されると、 捨てることが難しい。自我は握りしめて放さない。 自分にはそれは出来ないが、しかし祈ることができる。「捨てたく ありません」とありのまま祈ることから始めよう。主との交わりの 中で、御言葉を受け取り、捨てることが出来る。主との交わりの中 でのみ可能だ。主が働き、みわざをして下さる。 ・・・・・・・・・・・ 苦い根はそのままにしておくと、どんどんはびこってしまう。飲み 尽くされてしまう。恨みや怒り、赦せない思いは、思えば思うほど ますます赦せない。自分が辛いばかりだ。「握り締めて放せない」 からありのまま祈ろう。主に助けを求めるなら、必ず応えて下さる。