2020年10月07日(水) 「彼らはマラに来たが、マラの水は苦くて飲むことができなかった。 それで、そこはマラと呼ばれた・・モーセは主に叫んだ。すると主は 彼に一本の木を示された」出エジプト15:23
「彼らはマラに来たが、マラの水は苦くて飲むことができなかった。 それで、そこはマラと呼ばれた・・モーセは主に叫んだ。すると主は 彼に一本の木を示された」出エジプト15:23
モーセとイスラエルの民は、エジプトを出て、荒野を3日歩いたが、 炎天下で一滴の水も無かった。民はのどが渇いて死にそうだった。 人々の心は、嘆き、挫折、絶望にあった。そんな時、マラで水を見 つけて大喜びしたが、しかしその水は苦くて飲めなかった。それで 「マラ」=「苦いもの」と言った。 人々は失望し不満爆発し、モーセに怒りをぶつけた。3日前、紅海 で偉大な奇跡を見た、主への賛美と感謝はきれいに吹っ飛んでいた。 まさに手の平返しだ。そこでモーセが主に叫ぶと、一本の木を示さ れた。それを投げ入れると苦い水が甘くなった。私たちも何かが起 きると、不満、怒り、失望となる。それが心で苦い水となり、渦巻 き溜まる。 一本の木が備えられたように、私たちにも十字架を備えて下さった。 苦い水はどうやっても、甘くできない。十字架のみが成し遂げてく れる。いろんな人々が、理不尽な目に会った時に経験した。上司は 自分の失敗にだんまりで、周囲から自分のせいにされた。又、自分 のミスではないのに、上司から決めつけられた。怒りと悔しさを主 にぶつけると、目の前に十字架が示される。 完全に正しい方が、黙って十字架にかかられている。自分は正しい、 絶対に正しいと激高している。そんな自分の姿を見せられる。十字 架から赦しと癒しが流れ来て、心が変えられ、平安にされる。御霊 に触れ、苦い水が甘い水に変えられる。 ・・・・・・・・・・・・ 十字架によって、苦い水が甘い水に変えられる。不平不満、いら立 ち、怒りが、神のあり方を捨てて、仕える者の姿を取られ、自分を 卑しくされ、十字架の死にまで従われた方をじっと見つめる時に、 心が変わって来る。視点が転じ、恵みへと目が向いて行く。