2020年12月03日(木)

「門番は彼のために開き、羊はその声を聞き分けます。彼は自分の羊をその名で呼んで連れ出します」ヨハネ10:3




主は、御声をかけて私たちを導かれる。御心にかなった志を与え、
事を行わせて下さるとある。主の御声を聞いて、私たちは従う。し
かし私たちの心には、主の御声と共に、他の声も聞こえて来る。す
べてが神の声ではないので、要注意、要警戒だ。神の声、絶えず火
矢を飛ばして来るサタンの声、内から湧き上がる自分の肉の思いの
声がある。

それらが入り混じっている。どこからの声なのかを、よく祈りつつ
判別する必要がある。主以外の間違った声に従うと、御心と正反対
の方向へ行ってしまう。まず、その声が御言葉と合致しているだろ
うか。御言葉に反する導きは決して無い。又、目的は良いが、手段
が不正なら、神からの声ではない。そして神の声は愛なる声で、力
強く且つ穏やかだ。落ち着いていて、平安に満ちている。安心感が
ある。

サタンからの声は、恐れと不安にさいなまれる。怒りが湧き、憎し
みや妬みが起きる。心が暗くなり、重苦しくなる。平安が失せる。
弱さを責め立てられ、又、逆に自分の力を誇らせ、高ぶらせるもの
だ。主の声は、悔い改めるべき点をはっきりと指し示し、サタンの
声は漠然とした非難と責めで、明確な一点が無い。

主の声は具体的に導き、サタンの声はいたずらに急かし、焦らせる。
自分の肉の欲からも、ああしたい、こうしようとの思いがふつふつ
と湧き上がる。そして、サタンは神の声を真似る。「サタンさえ光
の御使いに変装するのです」しかし御霊は常に助けて下さる。祈っ
ていると御霊は聞き分けさせて、守って下さる。祈りが大切だ。
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主の導きかどうか迷う時は、よく祈り御言葉と照らし合わせてみよ
う。御霊の実を豊に結ぶものだろうか。漠然とした不安や焦り、衝
動的な感情はよく祈り主に渡そう。