2021年03月07日(日)

「神は柴の中から彼を呼び、『モーセ、モーセ』と仰せられた。彼 は『はい。ここにおります』と答えた」出エジプト3:4


主はある時、人が高慢に陥らないように、人の計画を阻止される。
モーセはエジプトの王子だったが、40歳の時に、同胞が虐げられて
いるのを見て、救出を計画した。自分だからこそ出来ると。だが肉
の思いであり、肉の良かれと思う計画だった。主から発したもので
は無かった。

その時に看守を殺してしまい、失敗してしまった。そのためミデヤ
ンの地に逃れる事になった。何も無い見渡す限りの荒野で、40年間、
羊飼いの日々を送った。以前は世の栄華、地位、富と何もかもを持
っていた。能力があり、文武両道、人脈を持ち、脚光を浴び、何の
不自由もなく、輝かしい将来を約束されていた。

一転、全く何もない荒野だ。スポットライトを浴びる事も、かつて
の栄光も皆無だ。来る日も〃、羊を追い、刺激も変化も無い平凡な
日々が、40年だ。その中で妻を持ち、子供も生まれ、平凡な落ち着
いた幸せの中にいたかも知れない。しかしこの荒野こそが、実は主
のご計画であり、神のモーセへの訓練、整えの学校であった。

自信に満ちたモーセは砕かれた。もはや自分の計画でなく、主の計
画に従えるようにとの訓練、整えであった。主のわざは着実に進
められ、荒野の舞台でモーセを造り変えられた。80歳になった時、
主の時は満ちた。今更、何ができようと思ったモーセこそが、主に
はふさわしい。

民をエジプトから救い出す指導者として、召し出された。もし今、
こんなはずではない場に、置かれているなら、主はあなたを取り扱
い、砕き整えておられる。主の御手の中だ。ご計画があり、主の整
えの最中だ。目の前の事に忠実であり続けよう。

・・・・・・・・・
主はずっとモーセを握り、目を留め、造り変えて行かれた。信仰人
生で「なぜ?どうして?」との事柄が起きる。しかし無駄なものは
一つも無い。一つ〃の試練を用いて、砕き、練り、造り上げられる。
主の器として用いて下さるためだ。どんな時にも希望がある。