2021年05月07日(金) 「私のたましいを御手にゆだねます。真実の神、主よ。あなたは私 を贖い出してくださいました」詩篇31:5
「私のたましいを御手にゆだねます。真実の神、主よ。あなたは私 を贖い出してくださいました」詩篇31:5
あなたも経験するだろうか。神の御心が成るようにと祈るのだが、 実は自分の思いでいっぱいで、口では御心〃なのだが、心では自分 の思いに固執していたりする。しかし反抗する気などなく、一応は それが正しいので、御心が成るようにと思っている。それだけに自 分でも気づかない。 自分では御心を願っているつもりだが、後で振り返ると、委ねる事 の意味もわかっておらず、主を信頼もしていなかったとわかる。説 教で、学びで、主に委ねる事の大切さを教えられるので、それが大 事と思い、そうしている「つもり」だが、実は自分の思いを握って 放さない。しばしば、自分がそうあればよいと思う事を、実際そう だと勘違いしてしまう。 反抗していればわかるが、逆らうつもりはなく、却って気づかない。 何かが漠然としているのだ。心に確信と満たしが無い。それで自分 でも、何かが違うと感じている。この問題点は、委ねることができ ていないところにある。心を御霊で照らされる時に、委ねていない 自分を見い出す。しかし自分を明け渡すことは難しい。 この事を認めることが、前進のためのまず一歩だ。握っているもの は何だろう。まず委ねられないと認めて祈ろう。主が「しかし、わ たしの願うようにではなく、あなたのみこころのように、なさって ください」と祈られた。主にも思いがあられたが、祈りの中で、御 心を選び取って行かれた。主は愛して、理解もして下さっているの で、一歩一歩を手を取って導いて下さる。 ・・・・・・・・・・・・・ 御心を求める時に、自分の思いは強く、わかっているなら祈りに持 って行けるが、気づかない場合も多い。自分の強い思いがあると、 主の御心を求めるのだが、わからない。その時に、右でも左でも御 心に従いますと、思いを手放し、委ねると、御心がわかって来る。