2021年06月06日(日)

「イエスは、悪魔の試みを受けるため、御霊に導かれて荒野に上っ て行かれた」マタイ4:1


悪魔は、40日の断食を終えた主への誘惑で、石をパンに変えるよう
にと。しかし主は、自分の思いと力で石をパンに変えるのではなく、
神の言葉によって生きるという事で立ち向かわれた。すると、次は
悪魔も、それに乗っ取って攻撃して来た。「では、神殿の頂から下
に身を投げても、神が御使いに命じて支えて下さると書いてあるで
はないか」と。

御言葉を自分に都合良く勝手に解釈する誘惑だ。これに対しても、
主は、同じく御言葉を用い「神を試みてはならない」と退けられた。
詩篇91:11,12からの言葉だが、比べると「すべての道で」が抜けて
いる。ここで言っている事は、主の御旨に従い、御心の中にいるな
ら守られるとの意味だ。わがままな自分勝手な事をして守られるの
では無い。

悪魔は聖書を読む時に、私達を誘惑して、自分に都合の良い解釈を
させようとする。つまり御言葉を使って、自分の思いを正当化させ
ようとするのだ。それが御言葉なので気づかない。実はそれは主の
御心でなく自分の思いであり、自分の欲望になる。悪魔の罠だ。自
分の思いが強いと、よく気をつけなければ、自分の思いがフィル
ターとなり、御言葉を読み込んでしまう。

そしてそれは、自分の思いと合致しているので全く気づかない。主
の御心だと勘違いする。惑わされてしまう。ここにも悪魔が働く事
をわきまえ、自分の思いを、まず主に明け渡そう。右でも左でも、
白でも黒でも、御心に従いますとの態度に立つ時、正しく導かれる。
サタンに足場を与えない。

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敵である悪魔がライオンのごとく、食い尽くすべきものを捜し求め、
獲物を狙っている事を、今日も覚えよう。自分の思いと自分の力に、
誘惑して来る。そこさえ狙えたら成功だ。自分の思いで動く時、自
分の力に頼る時、御霊の気づきが与えられるよう、祈っていよう。