2021年08月07日(土)

「人々が健全な教えに耳を貸そうとせず、自分につごうの良いこと を言ってもらうために、気ままな願いをもって、次々に教師たちを 自分たちのために寄せ集め」Uテモテ4:3 


私たちの肉の性質は、自分に都合の良い事を言って欲しい。自分は
正しいと言って欲しい。自分のしよとする事は、聖書にかなってい
ると言って欲しい。進む道が、御言葉に沿っているとの後押しが欲
しい。一つ間違うと、御言葉を、自分のしたい事をするための、承
認印にしてしまう。

「気ままな願いをもって」とあり、聖書の中から、自分に都合の良
い御言葉を集めるなら、それはわがままだと言っている。聖書は、
欲しい言葉を探し出す、タウンページではない。どうしても思い通
りにしたいとの強い思いがあると、自分のプランを正当化する言葉
が欲しい。思いが強いと、無意識に都合の悪い言葉はスルーして、
欲しい言葉を探してしまう。意識していればわかるが、無意識なの
で気づかない。それなら、御心と反対方向へ行ってしまう。

「預言者が主の名によって語っても、そのことが起こらず、実現し
ないなら、それは主が語られたことばではない。その預言者が不遜
にもそれを語ったのである。彼を恐れてはならない」との言葉があ
るが、御言葉が示されたと言いつつも、もしその言葉が実現しない
なら、主が語られた言葉ではないと言っている。自分が取ってきた
御言葉になる。

まず御心を求める時は、最初に自分自身を、自分の思いを委ねるこ
とが大切だ。右でも左でも、主の御心のままに進みます。御心のま
までOKですと。そして祈って行く時に、主のお心がよくわかって
行く。主のお心を求めていて、自分の都合を求めているのではない
からだ。自分を明け渡す時に、必ず導きを与えて下さる。導きを頂
かなければ、進めないのだから。必ず道を示して下さる。

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「わたしが目を留める者は、へりくだって心砕かれ、わたしのこと
ばにおののく者だ」。み言葉への態度が、助けられるように求めよ
う。心を助けられて、御声を素直に受け取ることができるように
祈ろう。御声を聞く事こそが大きな喜びであり、心に喜びが来る。