2021年11月06日(土)

「もし、目が悪ければ、あなたの全身が暗いでしょう。それなら、 もしあなたのうちの光が暗ければ、その暗さはどんなでしょう」マ タイ6:23



ここで、からだのあかりは目であり、目が健全なら身体全体が明る
いと言っている。目から光が取り込まれるので、目が光の入る窓口
になる。その目が健全なら、十分に光が入るので、全身が明るく心
も明るい事になる。しかし目が悪いと、そこに光があっても、身体
に取り込めない。だから身体は暗く、心も暗い事になる。

窓から外の光が入らない状態だ。光が無いのでなく、光は十分あり、
輝いている。光の問題では無く、目の問題だ。見えないので、そこ
に光がある事がわからない。太陽が光輝く中で、目を閉じた状態だ。
真っ暗闇だ。だから、暗闇にならないようにせよと。

光は主だ。主は常に輝いておられる。健全な目とは「単一の目」と
の意味で、光である主だけを見続ける目だ。だが、主に対して目を
閉じ、主ではなく、名誉、地位、富・・この世のものに、又、心配事
や思い煩いに、叉、偏見、思い込み、独りよがり、叉、激しい憎し
みや妬み、怒りに目が釘付けならどうだろう。それは目を閉じた状
態になり、光が入らない。心は真っ暗になる。

見ているものを「よく注意せよ」と。赤い警告ランプが、目が悪く、
青に見えていたらどうだろう。生死に関わってくる。主を見つめて
いるなら、光が目の窓から豊かに入り、自分自身はすみずみまで輝
く。そして、それは自分だけでなく、周囲の人々をも照らして行く。

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目が身体への窓口になる。目が偏見や自分の思いが強いと身体に入
るものが歪んでしまう。又、自我に触れる痛い事に、目を閉じ、シ
ャットアウトするなら、身体は真っ暗なままだ。自分の目はどうだ
ろう。御霊が気づかせ、御心へと、成長へと導いて下さる。