2022年02月04日(金)

「わたしは、あなたの神、主である。わたしは、あなたに益になる ことを教え、あなたの歩むべき道にあなたを導く」イザヤ48:17



信仰生活で大切な事は、主のお心を求めて歩む事だ。そのために
は、
自分を捨てる必要がある。御言葉により、主の御心を求めるが、そ
の時に「どうか、御心を示して下さい」と一言祈り、聖書をパッと
開いて、開いた箇所の、パッと目についた御言葉を取り「示された
!」と言ったりする。が、それは危険だ。

聖書は占いの書ではない。すべての御言葉には前後関係があり、文
脈があるので、前後関係を無視して、1節だけを取り出すと、間
違った方向に行ってしまう。時に、主の導きと正反対へ向かってし
まう。
又、聖書はタウンページではない。人は、強い願望や思いがある
と、
御言葉を、自分の都合のよいように取り込んでしまう。自分の都合
に合った御言葉を取ってしまう。それも叉、御心を誤ってしまう。

御心を求める時は、よくよく祈ることが大切だ。主と親しく交わ
り、
まず悔い改めるべき事があれば悔い改め、主との関係を正され、素
直に祈って行けばよい。

そして、生活全般に耳を澄まし、アンテナを張り、御言葉を待つこ
とだ。礼拝から、デボーションから、信仰書や信仰者の交わりか
ら、
様々なものを通して、主は必ず語りかけられる。指導者の助言も参
考にするとよい。

祈りつつ御言葉を待ち、環境をじっと見ていることだ。門が閉ざさ
れたなら、御心でない。御心なら必ず門がひとりでに開かれて行
く。
自分で開くのではない。私たちは主の御手により開かれた道を行
く。
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自分の強い思いがあれば、いつもそこに思いが行ってしまう。どう
しても都合の良い見方しか出来ない者だ。思いを明け渡し、真っ白
な心で御言葉に向き合い、環境から悟れるよう祈ろう。