2022年04月06日(水)

「キリスト・イエスにある、いのちの御霊の原理が、罪と死の原理 から、あなたを解放したからです」ローマ8:2



原理と言うのは、法則だ。この世界に様々な法則があるが、法則と
は、一つの例外も無く当てはまる事だ。一つでも例外があるなら法
則とは言わない。聖書は、私たちの中に一つの法則があると言って
いる。「善をしたいと願うのに、悪が宿っているという原理」だ。

パウロは主に出会い、新生したので、善をしたい願いがあった。信
仰者には、新生する以前には無い、新しい性質があり、主に喜ば
れ、
主の御心に歩みたいとの願いがある。主を求め、主に従いたいと願
う。同様に私たちも、主に喜ばれる事をしたい。だが、それに逆行
する法則が存在する。

「悪が宿っているという原理を見いだす」。罪の性質がある。どん
なに物を上に投げても、引力の法則で、必ず下に落ちる。法則があ
るからだ。善をしようとしても、悪を行なってしまう。どうにもな
らない。自力で善行を少しはするが、必ず落下する。どんなにあが
いても主に従えない。

それを徹底して経験したパウロは「私は惨めな人間」だと。「誰が
この死のからだから救い出してくれるのか」と叫んだ。「誰が」と
あり、自力では不可能だと悟った。落ちるばかりだ。主を仰いだ
時、
解決を見た。主が、別の原理によって解決を備えて下さっていた。

「命の御霊の原理」だ。引力の法則で、物は下に落ちるが、手で受
けると落ちない。御霊の力により導かれる時に、落下せずに、生き
生きと喜んで、自由に主に従って行ける。自分を明け渡し、御霊に
よって歩めるよう、祈ろう。
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自分の現状は少しも変わらなくても、ただ主の十字架に繋がってい
るだけで命と御霊の原理が及んでくる。どんな不完全さも神が忍耐
をもって赦してくださる。何という慰めか。御霊に明け渡そう。