2022年06月06日(月) 「神の御霊に導かれる人は、だれでも神の子どもです」 ローマ8:14
「神の御霊に導かれる人は、だれでも神の子どもです」 ローマ8:14
クリスチャンの心の中には、生まれつきの肉の思いと、御霊によっ て与えられる神の思いという、二つの相反するものが働いている。 日常に絶えず経験する。二つの性質が心にあり、どちらもが強く 引っ張る。肉の思いに従うなら、妬み、憎しみ、怒り、偽り・・ 罪の実を結んでしまう。 御霊の思いに従うなら、愛、喜び、平安、寛容・・御霊の実を結ん で行く。どちらもが、自分の内にあり、瞬間〃の選択が結ぶ実を決 定する。ある人が若い時に非行に走った。複雑な不幸な生い立ちだ った。しかしある時気づいた。確かに生い立ちは不幸せだし、親に も恵まれなかったかも知れない。 しかし、ひがんで、グレる事を選択するのは、紛れもなく自分なの だと。他人は誰も、自分に取って代わって選択できない。自分自身 が選択している。だから責任は自分にある。グレる事を拒否する選 択もできたはずだ。そうであれば、これからは、主に従う道を選択 して行きたいと。 私達も同様だ。サタンは肉に働いて、罪に引き込もうとする。寛容 な態度をと思っても、つい肉はイラ立ち、とげとげしくなる。又、 人からきつい言葉を受けると、肉は反撃したくなる。しかし御霊 は、 まず祈れと言う。二つが相反し、どちらもが引っ張る。 そのつど「できません。助けて下さい」と主に渡そう。すると御霊 が助けて下さる。御霊が働かれる時、頑張る事なく、優しい言葉を かけ、相手のために祈ることができる事を経験して行く。奇跡であ り、自分でなく御霊の働きだ。 -------------- 意識しなければ迷わず肉を選ぶ者だが、そうはそうはしたくない思 いを主から受けている。御霊の導きを選びたい。自分では決してで きないが、主が必ず助けてくださる。