2023年02月04日(土)

「あなたの手を、その子に下してはならない。その子に何もしては ならない」創世記22:12



アブラハムは、主から示され、生まれ故郷を離れ、父の家を出て、
主の示す地へと旅立った。その時は75歳で、主の約束の子イサクを
授かったのは25年後、100歳の時だった。待ちに待ち続けて、与え
られた愛する息子だった。目に入れても痛くないほど、その思いは
どんなに深かったろう。穏やかな幸せな日々だったろうか。そんな
中、突然の厳しい試練が臨んだ。

「神はアブラハムを試練に会わせられた」とあり、はっきりとこれ
は「試練」だと言われている。モリヤの山で、イサクを全焼のいけ
にえとして献げよと。全焼のいけにえとは、祭壇の上で動物を焼き
尽くし、主に献げるものだ。最愛のイサクを献げよと。この時のア
ブラハムがどんな思いで受け止めたのか、感情は、何も書かれてい
ないが、彼は神を信じ、神を愛していた信仰の人だ。

その証拠に神に従うために、「翌朝早く」モリヤへと出発した。そ
の行動が物語っている。神が「アブラハムよ」と呼ばれた時「はい、
ここにおります」と答え、「従うためにここにおります」というの
が、神とアブラハムの関係だった。アダムは、神の呼びかけに身を
隠したが、アブラハムはそうでなかった。

イサクが「いけにえの羊は?」と問うと「神ご自身が備えて下さる」
と、彼の信仰だった。実際、刀を取ってほふろうとした時に、主
は止められ、代わりの羊がそこにあった。試練は必ず来るが、同時
に必ず主の備えがある。愛なる主に「ここにおります」と答えられ
るよう、地道な主との交わりを大切にし、祈って行こう。

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「神は試練に会わせられた」と言われ、はっきり試練があると、そ
れは神から来ると。「主は、あなたを苦しめ、飢えさせ」申8:3と。
神からのものとして、受け入れられるよう祈りたい。その時に初め
て、様々な主の備えを、霊的にも物質的にも経験して行ける。