2023年09月06日(水)

「供え物はそこに、祭壇の前に置いたままにして、出て行って、ま ずあなたの兄弟と仲直りをしなさい。それから、来て、その供え物 をささげなさい」マタイ5:24


私たちの肉の性質は、自分の間違いを認めたくないものだ。プライ
ドだ。相手が謝りさえすれば、こちらも謝ってもよい。相手が変わ
るなら、こちらも変える気持ちは無いわけではない。自分から「私
が悪かった」とは言いたくない。プライドがどこまでも邪魔をす
る。言い訳をし、自分を正当化し、出来るなら、謝らずに、善行で
相殺したい。

問題に向き合わずに、礼拝出席や奉仕をする事が逃げになり、それ
で埋め合わせしようとする。だが、主に罪を犯しているなら、罪を
告白し、人への罪なら、相手に謝罪する必要がある。主は和解を喜
ばれる。先延ばしにしているだろうか。いつかでなく、気づいたあ
なたが、すぐにせよと。そして祭壇に献げ物をする時、「恨まれて
いる相手」がいるなら、先に相手と仲直りをせよと。

この場合、恨まれているのであって、自分が恨んでいるのではな
い。しかしその時も、自分の方から赦しを求めよと。誤解や行き違
い、感情のもつれがあるのかも知れない。その時は、気づいた自分
の方から始めよと。又、人を憎んだままなら、献げ物は受け入れら
れない。礼拝への途上でも、仲直りの方が大切だと。謝罪や和解が
難しいのは、プライドが関わって来るからだ。何とか避けたい。

主はどこまでも、私たちを赦して下さる。だが自分はどうだろう。
赦せない相手がいるだろうか。自分は正しいと、主張続けるなら、
そこに解決が無い。自分を省みて少しでも非はないだろうか。主
は、根本から解決し、大きな喜びと安堵、平安でおおって下さる。
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嫌な人とは出来るだけ距離を取りたい。思い出すだけで腹が立つか
らだ。でも主は、悪いのは相手であって自分ではないと言い張る自
分に問題があると言われる。敵意をもって今も見ている罪を認めた
い。主は赦してくださる。