2024年03月07日(木)

「そこで、主は彼らにその願うところを与え、また彼らに病を送っ てやせ衰えさせた」詩篇106:15



主は、祈れ、願えと言って下さっている。祈りによって、答えられ
るなら、私たちは喜びに満ちるからと。しかし求めることにおい
て、注意しなければならない。イスラエルの人々は激しい肉の欲望
にかられて、わがままに主に求めた。どうしても、何が何でも欲し
いと、どこまでも自分を通して、せがんで〃求めると、主はその願
うものを、肉の欲望であっても与えられた。

あなたが、どうでもこうでも欲しいと言い張るなら、時として、主
は願ったものを与えられる。しかしながら、それを持っても、魂は
やせ衰えると。激しい欲望にかられて求めて、手には入れたが、心
は決して満たされる事がない。返って心虚しくなる。それほど欲し
いものを得たのに、心の奥は喜びも平安も無く、空虚なのだ。

時に、主は私たちに学びを得させ、教訓を与えるために、私たちに
よくないものであっても、どうしても言い張るなら、与えられる事
がある。そのため、わがままに欲望で求めるのでなく、主の御心に
適ったものを求めるのが一番だ。それこそが自分の思いと違ったも
のであっても、実は自分にとって最善なのだから。

肉の欲望からのものを幾ら得ても、決して心は満たされず、更にや
せ衰えるのは、辛いことだ。私たちの求めを、主のお心に照らし
て、主の喜ばれるものか、主の栄光が現われるものか、よく吟味し
てみよう。自分の思いと主のみ思いが、時に大きく異なる事があ
る。だが従いますの姿勢がある時、主の御心へと必ず導かれる。
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魂がやせて空っぽになるなら受け取っても受け取っても満足がな
い。いつも不平を訴えるばかりの荒野の民から学びたい。主はいつ
も最善を備えてくださっている事に心から感謝し、御心を求めよ
う。