2024年04月06日(土) 「まだ乳ばかり飲んでいるような者はみな、義の教えに通じてはい ません。幼子なのです。」ヘブル5:13
「まだ乳ばかり飲んでいるような者はみな、義の教えに通じてはい ません。幼子なのです。」ヘブル5:13
乳ばかりを飲む者は、幼子であり、乳とは「神のことばの初歩」だ と言う。乳児は、固い食物は消化できないので、乳を飲むが、柔ら かい心地良い言葉だけを求めるのが、幼子だと。主を信じ救われた 時は、誰しも生まれたての赤ん坊だ。その時に必要なの乳だ。固形 食を食べるなどあり得ない。神の愛、慈しみ、罪の赦しを受け取り、 喜びに溢れる。 しかし赤ん坊は、必ず離乳食、固形食へと進み、大人へと成長して 行く。幼子は、神の愛、赦し、受容、だけを聞きたくて、固い義の 教えは聞きたくない。神に愛されている、それは最も大きな事であ り、重要であり、大切なものだ。大切な神の愛と同時に、主は、厳 しく苦しい、砕き、訓練、鍛錬、そして少しづつ聖められて行く聖 化、又、その過程を備えておられる。 幼子は自己中心だ。赤ん坊はお腹がすくと泣き、おむつが濡れると 泣く。その場合、母親の都合はいっさい考慮しない。絶えず自分中 心に世界が回っている。赤ん坊はそれで良い。正常だ。しかし霊的 赤ん坊はどうだろう。自分の思い通りにならなければ、わめき、自 分を通したいばかりだ。又、乳児が固い物を口から出すように、従 いたくない御言葉は吐き出す。 とにかく「自分が」「自分が」と、認められたい、愛されたい、中 心になりたい。最初は赤ん坊で当然だが、いつまでも赤ん坊ならど うだろう。大人に成長して行くのが通常だ。大人とは自分を捨てる 事、主を愛し他者を愛する事、自分の栄光でなく、主の栄光を求め て生きる事だ。幼児性はどうだろう。自分ではできないが、御霊が 働き、導き、助け、大人へと成長させて下さる。祈りから始めよう。 ・・・・・・・・・・ 生まれた頃は乳が必要であり、乳を飲む事が重要で大切だ。しかし 赤ん坊のままでなく、子ども〜成人へと、主が成長させて下さる。 自分で砕く事はできない。主が自己中心を砕き、訓練して下さる。 目の前の苦しみも、大人へと成長のために、祝福とされる。