2024年05月07日(火)

「イザヤは・・『イスラエルの神、主は、こう仰せられます。あな たがアッシリヤの王セナケリブについて、わたしに祈ったことを、 わたしは聞いた。』」イザヤ37:21



ヒゼキヤ王の時代に、アッシリヤ王セナケリブがユダの町々を攻め
取った。セナケリブ王はラブシャケを送り、ヒゼキヤ王や民に脅し
をかける。大軍を伴い、強力な軍隊を誇示し、挑んで来る。ヒゼキ
ヤ王は、主が救い出すというが、ヒゼキヤの言う事に「だまされる
な、信じるな」と、信仰を揺るがして来る。

これを聞いたヒゼキヤ王は衣を裂き、荒布をまとって主の宮へ行
き、この大きな脅威に対する祈りを献げ、イザヤにも祈りを要請し
た。私たちも同様だ。サタンは、大きな脅威をもって、私たちに挑
み、攻撃をしかけて来る。経済的苦境や、信仰の迫害、様々な苦
難、試練が臨む。

圧倒的な勢力を持つサタンの支配するこの世を前に、小さな自分た
ちの無力を見せつけられる。祈っても無駄だ、神を信じて何にな
る、解決など無い、しょせん無力だ・・。神を信じて立たないよう
に、この世に屈し、妥協して生きるように誘惑する。そうすれば楽
に生きれるし、世の栄華、成功も手にできる。

このような時は祈りが大きな力であり、武器であり、対抗手段だ。
ヒゼキヤ王もイザヤも祈った。その時、主は奇跡をなされ、主の使
いを遣わし、戦わせた。その結果、アッシリヤは立ち去った。世に
妥協させようとする、楽な道を選ばせようとする、耳元に来るサタ
ンの誘惑に気づけるように。祈りによって、立ち向かおう。
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問題が起こるとすぐに頭で解決策をめぐらしてしまう。「わたしは
聞いた」と言われる主に祈らせないのが悪魔の策略ではないか。主
に解決を祈り求めよう。主の導きを待とう。