2024年07月07日(日) 「・・だれも神の恵みから落ちる者がないように、また、苦い根が 芽を出して悩ましたり、これによって多くの人が汚されたりするこ とのないように」へブル12:15
「・・だれも神の恵みから落ちる者がないように、また、苦い根が 芽を出して悩ましたり、これによって多くの人が汚されたりするこ とのないように」へブル12:15
私たちの心にある、苦い根を問題にしている。芽を出して悩まして 来る「苦い根」を捨てるようにと。又、御言葉が心に入るように、「す べての汚れやあふれる悪を捨て去り」とも言われている。私たちの 心の内はどうだろう。汚れや悪があると、苦い根があると、御言葉 が心に入る事をふさいでしまう。そのため「捨て去る」必要がある。 捨て去るとは、自分サイドの罪があれば悔い改める事だ。主の血 潮のゆえに、主は赦して下さる。憎しみや妬み、高ぶり・・苦いもの が心に無いだろうか。いつも悩まされてしまう。御霊の光で照らして 頂こう。悔い改めが、心を耕す事になり、御言葉が入る下地を作る。 デボーションや説教や学びや、色々な場で語られる御言葉に耳を 澄まそう。 語られる言葉を、「素直に」受け入れよと。語られる言葉は、真実な 神の言葉だ。又、御言葉を聞く時に、同時にサタンがからんで、肉 の思いを持って来る。「無理だ」「人には出来ても、自分には出来な い」・・自分の思い、価値観の方を優先するように仕向けて来る。そ のままの思いを主に、打ち明けよう。 「素直に受け入れられない」と祈ろう。「理解できません、教えて下さ い」「わかっていますが、自我が拒みます」ありのまま祈って行く時 に、御霊が助けて下さる。又、自分には無理と決めつけていない だろうか。出来ないからこそ「祈り」がある。従えるように、助けて 下さる。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 肉の欲や、人から受けた傷が、憎しみ、恨み、敵意となって苦い根 となる。それは自分だけでなく、周囲に影響をもたらすとある。自分 で気づけない苦い根を、御霊の光により気づきが与えられるように。 祈ろう。傷を、主のもとに持って行き、主により癒して頂こう。