2024年10月07日(月)

「見よ。聞き従うことは、いけにえにまさり、耳を傾けることは、 雄羊の脂肪にまさる」Tサムエル15:22



主が王位を与えられたサウル王であったが、不従順の罪で退けられ
てしまった。何があったのか。主に「アマレクを打ち、すべてのも
のを聖絶せよ」と命じられた。「すべてのもの」だったが、「サウ
ルと民」は最良のものを惜しみ、値打ちの無いものだけを聖絶した。

主の言葉に従わなかった。それは王と民が、一緒になって罪を犯し
たものだった。サムエルは主からの言葉で、サウルに会いに行く。
サムエルに罪を指摘されたサウルは「私は主のことばを守った」と。
「では羊や牛の声は何か」と問われ、「民が惜しんだ」と民のせい
に、責任転嫁した。そして「主に、いけにえをささげるため」だと、
あたかも主のためにと正当化する。

自分の間違いを正当化しようとするなら、どんな言い訳でも出て来
る。「そむくことは占いの罪、従わない事は偶像礼拝の罪」とサム
エルが言った。従わない事が罪なのだと。そして「あなたが主のこ
とばを退けたので、主もあなたを王位から退けた」と。聞き従うこ
とは、いけにえにまさるのだと。

私たちも、どうだろう。主の示しに従わず、それには従いたくない
ので、他の善行で、他の何かを献げる事で、埋め合わせにするだろ
うか。主は、示しに従う事を喜ばれる。それ以外の善行で、決して
帳消しにならない。そしてまず主の御声を聞くこと、「耳を傾ける
こと」を喜ばれる。

自分の思う善行をすることではない。自分の思いを横に置いて、ま
ず主の御声に耳を傾けて行こう。そして従えるよう祈ろう。従うこ
とを主は喜んで下さる。
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素直に御言葉に聞き従えないときも、従えない自分を認めていたい。
サウルのようにいつの間にか主の上に自分をおいて言い訳していく。
主に明け渡しながら、御言葉の導きに聞き従おう。