2025年04月05日(土)

「それで、何事でも、自分にしてもらいたいことは、ほかの人にも そのようにしなさい。これが律法であり預言者です」マタイ7:12



ある男性の証しだ。難易度の高い大学を目指し浪人中、丁度友
人も目指していて、共に予備校に通っていた。互いに刺激となり
励ましとなり、頑張れた。やがて受験となり、発表時、友人は合格、
自分は不合格だった。自分では、やれたと思っただけに、ショック
は大きく、打ちのめされた。落胆で、起き上がれなかった。友人の
合格を喜ぶ事など、とても出来ない。

羨ましいばかりで、妬みでいっぱいだ。「喜ぶ者といっしょに喜び・・」。
自分にも、主は必ず祝福を下さるから、人の祝福を喜ぶのだと、
頭では祝福すべきとわかるのだが、絶対に無理だった。全然喜
べない。又一年、同じ事の繰り返しと思うと、心は暗く沈んだ。頑
なな自我が、どうにもならない。しかしこのままで良いはずもなく、
平安も無い。辛い中、主に、「出来ません。無理です」とありのまま
祈った。そして「助けて下さい」と。

すると、ふっと心に微妙に変化が来て、一言メールを入れようと
思え、「良かったね」と一言だけ送った。それがかろうじて出来る
事だったが、自分でなく、主だった。すると友人はそのメールを
驚くほど喜んでくれ、沢山のメールの中で、君のメールが一番
嬉しかったと。良い証しになったようで、嬉しく感謝だった。

そして翌年自分も合格が与えられた。不可能の壁にぶつかる時、
自分で何とかしようとせず、主に正直にありのまま持って行こ
う。弱さの中に恵みは十分で、そこに主が働き、みわざをして
下さる。そして主を崇めて行ける。

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肉は、主の言葉に従えない。従いたくない強固な自我がある。
肉はどうにもならない。まず主を仰ぎ、助けを求めて祈ろう。
主は、求める者に答えて下さる。肉はキリストと共に十字架
につけられた事を覚えさせ、助けて下さる。