2004年02月05日(木) 「ですから、私は、キリストのために、弱さ、侮辱、苦痛、迫害、困難に甘んじています。なぜなら、私が弱い時にこそ、私は強いからです」(Uコリント12:10)
「ですから、私は、キリストのために、弱さ、侮辱、苦痛、迫害、困難に甘んじています。なぜなら、私が弱い時にこそ、私は強いからです」(Uコリント12:10)
「ですから、私は、キリストのために、弱さ、侮辱、苦痛、迫害、困難に甘んじています。なぜなら、私が弱い時にこそ、私は強いからです」(Uコリント12:10) この世界には、魅力的なものが多くある。自然や美術、音楽、美味しい食べ物、スポーツ、映画や劇場、趣味のサークル・・様々な楽しみがある。それらにより快適な心地よい時と気分が与えられるかもしれない。しかし、それらは完全な心の満たしを与える事はできない。次々とそれらを求めて行っても、絶対に真の満足はやって来ない。常に心は不満だ。クリスチャンでも、神から離れた行き方をすると、心が満たされない。主との親しい交わりの中で、主と共に歩み、主のために生きることだ。