2004年08月05日(木)

「キリストが現れるとき、私たちが信頼を持ち、その来臨のときに、御前で恥じ入るということのないためです」(Tヨハネ2:28)


 近い内に友人が遊びに来る事になっていた。 どの日かまだ分からなかった。散らかり放題の家を掃除しなければと思うが、目の前の次ぎから次ぎの用を片付ける事で毎日が精一杯だった。気が落ち着かず焦っていた。ある日、時間が空いて大掃除が出来た。やっと心が落ち着きこれでいつ来られても準備万端であった。主イエスの再臨に対してどうだろう。神との関係は正しいか。みそば近く歩んでいるか。対人関係はどうだろう。修復すべき相手はいないか。証しすべき相手はいないか。福音を伝えるべき人はいないか。謝罪すべき相手はどうか。主が来られた時、門は閉じられ、時と機会は終わる。今ならまだ間に合う。解決すべき事、なすべき事はないか。再臨に備えよう。
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私達は本当に再臨を望み待っているだろうか。様々な心残りがあるのではないだろうか。その日を遅らせて下さっているのは、ただ神様の憐れみだ。ノアの日のように来るその日に備え、具体的に祈って行かなければ。