2004年12月06日(月)

「昔からの通り道、幸いの道はどこにあるのかを尋ね、それを歩んで、あなたがたの憩いを見い出せ」(エレミヤ6:16)


信仰生活の中で様々な道を歩む。平らな道や険しい道、分かれ道もある。左右どちらがみこころの道なのか。非情に区別しにくい時もある。しかし、神は必ず導いて下さる。必ずみこころがわかる。祈りをし、御言葉を求め、環境を良く見る。開いているか、閉じているか。また、牧師や指導者の助言を受ける事も有益だ。霊的指導のために神様が置いておられるからだ。何よりも一番大切な事は、自分の意志を明け渡す事だ。しばしば御旨を求める裏に自分の思いがあり、すでに道を決定している事がある。そうであれば、決して御旨はわからない。本音では求めてなどいないのだから。自分の意志を明け渡し、御旨を求めるなら、必ず幸いの道へ導かれる。
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いつでも自分の思いは、自分の中に一杯で、感情に流されてしまうのが自然だ。自分を明け渡して行かないと、自分の思いの中では、神様の静かな御声は聞こえない