2005年02月03日(木)

「知恵ある者の叱責を聞くのは、愚かな者の歌を聞くのにまさる」(伝道7:5)



交わりは楽しいものだ。しかし、叱責の言葉を聞くのはどうだろう。叱責は誰にとっても嫌なものだ。自分の失敗や弱さに向き合わなければならず、痛くて辛い。プライドは傷つき心はズタズタだ。しばしば自分の弱さを見るのは辛い。認めない。しかし、どんなに痛くても、しっかり耳を傾け、自分への叱責を聞くなら、それは必ず自分の成長につながる。過去を振り返る時、神様の叱責、人からの叱責L、それによりどんなに高慢から守られた事だろう。あの時、あの叱責がなければ、恐ろしい高ぶりに陥っていたに違いない。罪をそのままにしておくなら、神はナタンを遣わし、罪を指摘される。叱責は恵みだ。悔い改めの機械とされ、新たにされる。
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耳の痛い言葉を聞くのは辛いかもしれないが、何も言われず、何も教えられずにいることは悲劇だ。心を開いて、厳しい言葉にも耳を傾け、本当の自分の姿を認めていくことは生涯にわたって必要だ。