2005年04月06日(水) 「種を蒔く人が種蒔きに出かけた。蒔いているとき、道ばたに落ちた種があった。すると鳥が来て食べてしまった」(マタイ13:4)
「種を蒔く人が種蒔きに出かけた。蒔いているとき、道ばたに落ちた種があった。すると鳥が来て食べてしまった」(マタイ13:4)
農夫が蒔いた種のすべてが結実するとは限 らない。時に聞く耳の無い人にも語られる。 道ばたに落ちた種がそうだ。また、神に従う なら犠牲を払わなければならない。自分の生 活を乱されたくないし、人目を気にする。ま た、自分も変わりたくない。そういう人は神 を信じようとしないが、しかし、私達はどう だろう。滅びるのは嫌で、天国へは行きたい。 が、この世も楽しみたい。神とこの世の両方 を求めている。全面的に明け渡すのは犠牲が 大きすぎる。信仰も適当にして、世も適当に 楽しみたい。こういう状況では御言葉は決し てわからない。神もわからない。なぜなら、 実はわかると困るのだ。犠牲を払わなくては ならないから。わかりたくないのだ。わから ないのでなく、わかりたくない固い自我があ る。自分の底の本当の心を知る事から始まる。 ・・・・・・・・・・・ 世の人は世で平安に過ごせる。救われると世 では決して平安が無い。かと言って神の方へ も進まないので、世でも平安なく神はわから ず一番哀れで惨めだ。世には戻れない以上神 に本気で近づこう。喜びが満ち溢れる。