2005年05月07日(土)

「目を上げて見ると、あれほど大きな石だったのに、その石がすでにころがしてあった」(マルコ16:4)

ある宣教師が神学生の頃、授業料が無かった。
神が必要は必ず与えて下さるはずと、祈りに
祈った。支払い期日が近づきなおも祈り続け
た。しかし、期日が来たが与えられない。手
元に残った少しばかりのお金は、やはり授業
料不足の友人に上げた。彼は丁度それで納め
る事が出来た。なすすべなく、家に、引き揚げ
ようと荷造りを始めた。封書があるのを見て、
友人が開けないのかと言った。もういいと、見
る気力も無かった。友人が開けた。何とそれは
小切手だった。授業料の献金だった。目の前の
どんなに大きな石も神は転がして下さる。人間
的に不可能に見えても神に問題はない。あなた
の前に大きな石が立ちふさがっているか。神を
信じ祈ろう。その石は転がされ、解決を見る。
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何度も何度も大きな石が目の前で転がされて
来た。今、目の前に大きな障害があれば、諦
めず、気力を失わず神に祈ろう。神はその答
えを与えて下さる。復活の朝、香油を持った
女達の心配は全くの無用であった。