2006年05月06日(土)

「私はどうしても、十分な金額を払って買いたいのです。あなたのものを主にささげるわけにはいきません。費用もかけずに全焼のいけにえをささげたくないのです。」T歴代21:25

ダビデは、民に神罰が及ばないように、
主のために祭壇を築こうとした。それで、
オルナンの打ち場で地所を買いたいと願
った。すると、オルナンは、ただでダビ
デに差し出した。しかし、ダビデはそれ
を断わった。なぜなら、犠牲を払わずし
て、どうしてそれが献げ物になるのかと
思ったからだ。これは大変重要だ。私た
ちが神を第一にしないで神を信じている
と言っても、その信仰は本物ではない。
主の恵みに答えるのが真の礼拝であり、
こには必ず犠牲が伴う。私達はどうだろ
う。神を愛していると言いながら、日々
の選択において、どんどん自分の欲望を、
世を選択して行く。しかし、神を愛して
いると思っている。それは欺まんだ。神
を愛していないと認識する所から成長は
始まる。愛は必ず犠牲が伴う。
・・・・・・・・・
献げる事には痛みが伴う。奉仕すれば身
体は疲れる。楽して、何の痛みもなく、
献げられると勘違いしてはいけない。愛
する事は時間、労力を献げる事であり、
愛がある時にそれは感謝と喜びとなる。