2006年10月07日(土)

「いつでも祈るべきであり、失望してはならない・・」ルカ18:1

祈りは学校だと言われる。私達は自然
によく祈れるようになるのではない。
祈りは実践により、学んで行くものだ
からだ。自分の祈りをよく顧みると、
その時、限りのいい加減な祈り、気ま
ぐれな祈り、自己中心な祈り、その場
限りの衝動的な祈り・・そんなものも
多い。神がすぐに答えずに祈り続けさ
せられるのは、一体自分が何を求めて
いるのか、自分の本当の願いは何なの
かを、わからせて下さるためだ。衝動
的な祈りは翌日には祈らなくなる。真
に求めているものではないからだ。本
当に求めているものは祈り続ける事が
出来る。時間に耐え得る。どちらでも
良いものは祈り続ける事が出来ない。
自分の祈りを振り返る時、よくわかる
だろう。神が答えを差し控え、祈り続
けさせられるのは、自分自身の祈りを
よく吟味させるためだ。何が本当に必
要で大事なのか、何が自分の願いなの
か自分で理解して行く。祈りで、神と
向き合い、自分を知り、神ご自身を知
って行く。信仰が祈りにより成長して
行く。自らの日々の祈りを今一度点検
してみよう。
・・・・・・・・・・・
祈りによって神のお心を知り、親しく
なって行く。祈りっ放しでなく答えも
よく見張ろう。軌道修正の必要有りか
も知れない。ノーも答えであり、神の
意志だ。別な道なのだ。神のお心があ
る。よく悟れるよう祈ろう。