2007年01月07日(日) 「もし自分の心に責められなければ、大胆に出ることができ、また求めるものは何でも神からいただくことができます」Tヨハネ3:22
「もし自分の心に責められなければ、大胆に出ることができ、また求めるものは何でも神からいただくことができます」Tヨハネ3:22
求める必要が起きた時、大胆に確信 を持って祈ろうとするなら、普段か ら「神の命令を守り、神に喜ばれる ことを行っている」必要がある。す なわち、人の事を思いやり、人が困 っている時には、その必要に仕えて いなければならない。兄弟が困って いるのを見ても憐れみの心を閉ざす なら、自分自身が困った時に、どう して心が責められずに、大胆に御前 に出る事が出来ようか。「寄るべの ない者の叫びに耳を閉じる者は、自 分が呼ぶときに答えられない」人の 苦しみには耳を閉じ、自分が困って いる時には求めるのは、自らの心が とがめ、御霊によって祈る事が出来 なくなる。心にとがめがあるなら、 それが妨げとなり、どれだけ祈って も無駄だ。祈りが妨げられないため に、いつも大胆に御前に出られるよ うに、普段の生活で御霊に示される 事には、従順に従おう。そうする時、 とがめ無く祈れ、求めるものは何で も神から頂くことができる。 ・・・・・・・・・ 御霊の示しに一つ一つ従う事が大切だ。 とがめのない、妨げのない交わりの中で、 神の心を知り、自己中心からでない神の 心にそった祈りをするので、その祈りは 答えられる事になる。