2007年03月05日(月)

「心に血の注ぎを受けて邪悪な良心をきよめられ、からだをきよい水で洗われたのですから、全き信仰をもって、真心から神に近づこうではありませんか」ヘブル10:22

    


人間には良心が与えられている。
その良心には、罪を犯すととが
めが来る。そのとがめを抑えた
いがために、良い事をする。
言葉で、態度で、人を傷つけた
時に、良心がとがめるので、そ
のままでは平安が保て無いので、
親切な行いを返す。そして、プ
ラスマイナスゼロにする。これ
で良心のとがめを収めて良しと
する。誰しもにあるかも知れな
い。しかし、これは自分の良心
を何とかしたいだけで、神への
愛や、相手への愛などまるで無
い。強烈な自己中心だ。ある人
は犯した罪に対するとがめから、
懸命に奉仕したり献金している
事に気づいた。神のために良い
事をして、自分の良心をなだめ、
罪滅ぼしをするのだ。神に認め
てもらおうとする。そして偽り
の平安を得る。人は知らぬ間に、
これを繰り返している事がある。
これは「邪悪な良心」だ。良い
事をして、神に受け入れてもら
おうとの態度だ。そうであれば、
主の十字架は無意味になる。
この良心はきよめられる必要が
ある。それはただ十字架の血潮
によってきよめられる。神に行
いで受け入れてもらおうとの、
死んだ行ないから離れさせてく
れる。主の血によって良心はき
よめられ、赦され、どんな時も
恐れなく御前に行ける。主の血
に拠り頼もう。
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私たちの罪は尊い主の血潮によ
って洗い流されているのだ。繰
り返し罪を犯す者だけれど、自
己嫌に陥ったり、自我を満足さ
せるだけの罪ほろぼしに走るの
でなく謙遜に罪赦されている恵
みに感謝しよう。