2007年05月07日(月)

「苦しみに会ったことは、私にとってしあわせでした。私はそれであなたのおきてを学びました」詩篇119:71


信仰生活で、神に一番近かった
のはいつだろうか。それは試練
の時ではなかったか。全身で神
をあがき求めたのではないか。
問題のない安楽な環境の中では、
人は神を求めない。自分の好き
な事、関心ある事に心が熱中し
てしまう。神ご自身に慰めや喜
びを感じるのは、困難のさ中で、
自分ではどうにも出来ない時だ。
それは神のみわざを体験できる
時だ。神の癒しを知るのは病気
の時であり、必要の満たしを受
けるのは窮乏の時、経済的危機
の時だ。神の真の慰めを味わう
のは、悲しみに沈む時だ。苦し
みの時、心は痛く苦しく張り裂
けるばかりだが、しかし、その
時こそ神の言葉が食べ物だ。ま
さに御言葉によって生きる事を
経験する。苦しみは私達を神に
向けてくれる。そして、神の臨
在に触れ、神に出会う。神ご自
身の深い喜びを与えるために、
神は様々な悲しみ、苦しみを通
される。子供を事故で亡くされ
た婦人、もう立ち上がれないと
思ったが、主の慰めは素晴らし
く、御言葉が食物だった。どん
底で主に支えられた。補償金が
入り、子供達に福音を伝えたい
と、子供のための集会所を作っ
た。スタッフ方が来て教会学校
をし、沢山の子供達が救われた。
大きな慰めを受けた。大人もそ
こで救われて行った。「今では
本当に心の底から感謝しかない」
と。
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自分の力が及ばないような試練
の最中で神様に出会う時、平安
の真空パックの中で守られてい
る経験をした。後でふり返ると
試練だったが幸せだった。不安
や恐れがあるのは自分に余力を
与えていると知る事ができた。
それが一番辛い。