2007年06月06日(水)

「自分のためにたくわえても、神の前に富まない者はこのとおりです」ルカ12:21

金持ちの畑が、保管場所が無いほど大
豊作になり、大きな倉を建て、そこに
納めて「これから何年分も貯えた。さあ、
これで安心、楽しもう」と言った矢先に、
死んでしまった。神は「愚か者」と言わ
れた。なぜ愚かだったのか。財産で、
幸せが得られ命まで保障されると勘違
いした事だ。物に依存していた。物で
安心など買う事ができない。彼の人生
には神が無かった。お金に頼っている
人は多い。金持ちほど更に富を欲しが
る。幾ら得てももっと増やしたい。こ
れは心の問題であり心の底に横たわる
「貪欲」から来ている。どこまで行っ
ても決して満足する事がない。富が夢
を叶え喜びと平安をもたらすと勘違い
している。私達にも古い根深い価値
観がある。金銭に依存していないだろ
うか。握り締め、容易に偶像になって
しまう。又、この金持ちは、別訳では
「私の」倉、「私の」穀物、「私の」「私
の」だ。人に分け与えようとの発想も、
神への感謝も全く無い。あるのは、ただ
「自分」だけだ。私達も、自分のためだ
けだろうか。神に焦点を合わせる時、
神に喜ばれるよう富も用いる事が
出来る。その時、神の前に富む者とさ
れ、天に宝を積む。働く力も、豊作も
与えて下さったのは、神だ。
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アダムの罪以来、自分を喜ばせる事で
満足と幸せが得られると思い、どこまで
も追いかけるが大きな勘違いだ。神に
従い、神をお喜ばせする時に自分に大
きな喜びと満足が来る。