2007年11月06日(火)

「イエスは、ご自分では、しようとしていることを知っておられたからである」ヨハネ6:6


 
男だけで五千人、女子供を入れると
それ以上の大勢の人々を前にして、
主はピリポを試された。空腹の人々
に、食べる物がない、どうしようか
と。ピリポはソロバンをはじいた。
答えは「不足・だめ」だった。アン
デレも、あるいは、主は何かして下
さると思ったから、何か持っている
人を探した。しかし、こんなに大勢
に小さな弁当では、焼け石に水だ。
だめだと思う。大勢の群衆、食べ物
が無い、手持ちも無い、このような
状況で、主はすでに「しようとして
いる事」があられた。これは何と心
強い事だろう。あなたが今、このよ
うな状況なら、主はすでに方法を持
っておられる。しようとする事があ
られる。私たちに信仰を求めておら
れる。「信仰がなくては、神に喜ば
れることはできません」主が喜ばれ
るのは信仰だ。信仰を献げよう。そ
して、「小さな」ものを用いて下さ
る。五つのパンと「小さい」魚を二
匹だ。今、新しい歩みに招かれてい
るか。新しい環境、仕事、奉仕・・自
分は小さな者だと思うなら、主はそ
の「小さな」者を用いられる。「イ
エスはパンを取り、小さい魚も同じ
ようにして」主の手に握られる時、
大きな祝福として、主が用いられる。
人々は満腹する。一番肝心な事は、
その「小さな」ものが主の手にある
かどうかだ。 
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小さなものを持って行くには気がひ
けたり、様々な思いに邪魔されいつ
の間にか、あるかなしかの献げる思
いはかき消されてしまう。その思い
さえも神様が与えて下さったものだ。
幼子のように素直に主に持って行こ
う。主が豊かに用いて下さる。