2008年02月05日(火)

「人がもし不当な苦しみを受けながらも、神の前における良心のゆえに、悲しみをこらえるなら、それは喜ばれることです」Tペテロ3:19

信仰者は必ず試練があり、苦しみを受
ける。しかし自分の至らなさゆえ、欠
点ゆえに問題を起こし、周囲に迷惑を
かけ苦しみを招く。これは信仰ゆえの
苦難ではない。信仰に関係の無い苦難
だ。誰でも、失礼な事や他の人が不快
に感じる事をするなら、叱られるし非
難される。社会生活をしていて当然だ。
キリスト者以前の問題だ。しかしそう
ではなく、キリスト者ゆえに苦しみを
受ける事がある。迫害があり不当な苦
しみを受ける、「そしりと苦しみを受
け、捕らえられ、財産が奪われ」・・今
の私達の時代なら、信仰ゆえに陰口を
言われ、仲間はずれにされるかも知れ
ない。嘲笑や、無視の対象になり、理
不尽な目に会うかも知れない。しかし、
キリストゆえの苦しみなら、恥じる事
はない。かえってこの事のゆえに神を
崇めるようにと。そして、忍耐が必要
不可欠だ。神の御心を行って、約束の
ものを手に入れるために必要なのは忍
耐だ。苦難の時は、忍耐を培われる時
だ。忍耐とは我慢する事でなく、どん
な状況の中でも、神が必ず良くして下
さる事を、積極的、前向きに信じて行
く事だ。この忍耐を働かせる時に、信
仰に成長して行く。ヤコブ1:4 そして
どんな時にも確信を決して投げ捨てて
はならない。その確信は必ず報われる
のだから。
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キリスト者はのゆえの苦しみは、誰が
知らずとも神様が知っていて下さる。
悲しみや悔しさの言葉をぐっと飲み込
む時、神様の喜ばれる無言の証しへと
導かれ、また一つ勝利できる