2008年11月06日(木)

「ところが、マルタは、いろいろともてなしのために気が落ち着かず・・」ルカ10:40



主のために立ち働くこと、奉仕は尊いし、奉仕自体は、主の喜ばれることだ。
奉仕する事自体が良くないのであれば、主は最初から、マルタにそう言われた事だろう。

主のために労することは、喜びであり、恵みだ。
しかし、マルタは、主が飛んでしまい、恵みも飛び、目の前の仕事そのものに、心が奪
われてしまった。何のためにしているのか、わからなくなる。

主を忘れてしまうと、自己中心になり、自分を中心に物事を見る。
すると、自分だけが忙しい目をしていると、自己憐憫に陥り、何もしていない周囲を責め、
腹を立てる。

主から目を離し、恵みから出ると、私たちも同様だ。
恵みにより、御霊によってしていないので、自力であり、重い辛い仕事となる。

自分がしんどくて辛いので、何もしていない人を見ると腹が立つ。イライラして必ず裁く。
恵みの下にいないからだ。

マリヤのように、まず主のもとに座し、御言葉を聞き、主と交わるなら、喜びと平安と潤
いをもって働く事ができたであろう。

自分は平安と喜びがあるので、何もしていない人を見ても、裁く事もない。
しかし、主の御前に座する事より、動き回る事の方が簡単で楽なのだ。

「マリヤはその良いほうを選んだのです」選び取らない限り、座する事はできない。
選んでいない自分に気づこう。
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内側から満たされていなければ、ただ仕事をこなしているのと同じだ。不自由に立ち働い
てはいないだろうか。主のもとに座り、主と交わり御霊に満たされて、動きはじめよう。