2008年12月07日(日)

「鼻で息をする人間をたよりにするな。そんな者に、何の値うちがあろうか」イザヤ2:22

私たちはどうしても人の目が気になり、他人の評価を気にする。心の底に人に認
められたい、評価されたい、受け入れて欲しい、愛されたい、との強い願望があ
るからだ。

「人の望むものは、人の変わらぬ愛である」とある通り、私たちは生まれつき人
の愛が欲しいのだ。これは普段、認識していないだけで、自分が思っている以上
に強い欲求だ。だから人の目を気にし、愛される事を求める。

これが高じて行くと、人目を気にして、嫌われたくないので、人にへつらい、人
の顔色ばかりを気にし、ノーが言えなくなる。生き生きと御霊の自由の中で、自
分らしく生きる事ができない。

だいたい対人関係で、なぜ傷つくかと心を探ると、人に認められたい、評価され
たい、人からの賞賛が欲しい、それが根深くあり、そこに触れるから傷つく事に
なる。

しかし、自分の判定を他人にさせてはならない。人に自分の事を決めてもらうの
は間違っている。別にすべての人が、あなたの事を考えているわけではない。
あなたを愛してくれる人を除いては。

心が傷つく時に、それはどこから来ているのか考えてみよう。人に深く依存して
いる事が原因かも知れない。人に受け入れて欲しいばかりでなく、神の愛にしっ
かり依存しよう。ここに失望も落胆は決して無いからだ。

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自分は、人に依存していないだろうか。人に認められる事を求めると、自分を生
きる事ができなくなる。自分の気持ちがわからなくなり、自分が誰なのかがわか
らなくなる。主に向き合って行く時、真の自分に向き合う事になる。