2009年01月06日(火)

「また、祈るときには、偽善者たちのようであってはいけません。彼らは、人に見られたくて会堂や通りの四つ角に立って・・」マタイ6:5



偽善者のようであってはいけないと言われた。
「偽善者」とは、「舞台役者、主演俳優」のことだ。偽善者=俳優だ。俳優とは何をするのか。

俳優の役目は、脚本家が書いた脚本の通りに、その人物を演じることだ。
脚本にそって、監督が指示し、監督の思いを入れて演技指導し、俳優は、そこに描かれた人物を、監督に従って忠実に演技する。

いかに巧く演技するかで評価される。その人物にいかになりきるかが勝負だ。それは全く素の自分ではない別人物だ。他人だ。

偽善者とは、演技し自分ではない人物になりきることだ。
それは「人に見られたくて」人の賞賛、評価を得るため。人に認められたいがために。どうしても人間は、目に見えない神ではなく、目に見える人の愛情を求めてしまう。

誰もがその弱さを持っている。人に受け入れられたいし、愛されたい。
人にほめられたい。人に受け入れられたくて、いつしか良い子を演じてしまう。

それは自分ではない人物だ。嫌われたくないので正直な気持ちは言えない。
気に入られる事しか言えない。これが偽善だ。
それが祈りになると、綺麗事の祈りとなる。演技の祈りであり、天に届いていない。
あるがままの本当の正直な気持ちを受け止めて下さる。
それを待っておられる。それを神に祈って行こう。
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あるがままを知っていて下さり、そのままを愛して下さる神様に、偽らない姿で向かおう。幼子のような裸の自分で祈り求めよう。