2026年06月03日(水)

「喜びなさい。喜びおどりなさい。天においてあなたがたの 報いは大きいのだから」マタイ5:12



信仰者は、信仰ゆえの試練があり、苦しみを受ける。試練があると、
御言葉が言っている。しかし自分の至らなさで、自分の欠点ゆえに
問題を引き起こし、苦しみを招くのは、信仰ゆえの苦難ではない。
信仰以前の問題だ。誰でも、失礼な言動、問題行動があれば嫌われ
るし、トラブルが起きる。

しかしそうでなく、クリスチャンという事で、苦しみを受ける事が
ある。迫害されたり、笑われたり、嘲られたり、不当な苦しみを受
ける。「そしりと苦しみを受け、捕らえられ、財産が奪われ」・・今
の時代で、日本では、命がどうのは無いかもしれないが、悪口を言
われ、辛く当たられ、馬鹿にされ、仲間はずれにされる。

「ありもしないことで」、それは不当な、理不尽な苦しみだ。だが
それが信仰ゆえの苦しみなら、恥じる事はない。むしろこの事のゆ
えに喜べと。そして主を崇めるようにと。「喜びなさい。喜びおど
りなさい。天においてうける報いは大きいのだから」と。その人は、
主のために迫害され、辱めを受け、攻撃されたとしても、主との個
人的な交わりがあるので、幸せな人だ。

迫害や苦しみの中でも喜びおどる人々だ。自分の内に喜びがあるか
らだ。どんなに自分が罪深いかを知り、そしてその罪が完全に赦さ
れている事を知っている。どんな愛で、愛されているかを知ってい
て、いかに苦しい時にも、共におられることを知っている。

そして、天において大きな報いがあり、その大きな報いを期待せよ
と。それゆえ迫害の苦難に意気消沈するのでなく、「喜び、喜びお
どれ」と。天は大きな希望であり、天に繋がった今がある。そして
主に従う時、御霊の喜びを下さる。
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昔ほどではないにしても、迫害や反対を受け、思い通りに進めない
信仰生活を経験する。そういう時こそ、主が近くおられる事を知ら
され感謝に溢れる。ますます主に強く繋がり、目を天に向けよう。