2009年06月02日(火)

「キリストは、神の御姿であられる方なのに、神のあり方を捨てることができないとは考えないで、ご自分を無にして・・」ピリピ2:6    

          

人はプライドで生きている。男性は自分の仕事や地位に格別高いプライドを持ち、母親は子供に自分の夢を託し、子供により自分のプライドを満たそうとする。

子供を溺愛するが、愛しているのは実は自分だ。大切なのは自分のプライドだ。様々な対人関係で、プライドとプライドが激突し、火花を散らし、争い、怒りや憎しみが起こる。

ある婦人はお節介な隣人にいら立っていた。余りに立ち入って来るので、怒りが湧き、争い寸前となった時に、祈りの中で、主のへりくだりを示された。

心砕かれ、こちらにも悪い態度があり、詫びて、日頃の世話を感謝した。
すると相手の態度が柔らかくなり、悩みを話して来て、驚いた。
心通い合い、御霊に従う祝福を経験した。

プライドに生きると、決して心休まる時が無い。パリサイ人は徹底してプライドに生きた人達だ。彼らの立派な行ないの動機は、愛ではなくプライドだった。

プライドでも立派な行ないが出来る。主はプライドとは無縁で、徹底して愛に生きられた。
様々な事態やトラブルが起こる。その中でプライドが砕かれ、へりくだらされる。
神のご計画だ。今、問題があるなら、そこにもプライドが潜んでいるだろうか。

そのままを主に申し上げよう。取り扱って、自由にして行って下さる。
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心がギクシャクしている時、そこにプライド、高慢が潜んでいる。プライドで心が窮屈になっていないか。祈ろう。肉の思いに気づかされ、主が心を柔らかくして下さる。