2009年11月05日(木) 「風や湖までが言うことを聞くとは、いったいこの方はどういう方なのだろう」マルコ4:41
「風や湖までが言うことを聞くとは、いったいこの方はどういう方なのだろう」マルコ4:41
「向こう岸へ渡ろう」との主の御心に従ったら、その結果、弟子たちは大嵐に会い、溺れそうになった。御心に従えば、何の問題もなく、スムーズに行くはずと、なぜか思っていないか。 御心を拒否するならともかくも、ちゃんと従っているのだからと。しかし、そうではない現実に出くわす。御心に従って行くと、幾多の問題、悩みに出会うのだ。この時の弟子たちも、主の言葉に従って、船出した途端の、大嵐だった。 それもそういう事に慣れているベテラン漁師が怯えるほどであり、かなりの突風だった。 試練の時に、自分の本当の姿が現れる。ここで、弟子たちの本性が現れ出た。「主に従ったのに、こんな目に会ってどういう事か!」と思っただろうか。 「自分たちが死にそうなのに、主は平気で眠っている」と文句の一つも言いたい。 パニックになると、自分視点でしか物が見えない。主は同船されているが、眠っておられる。主は不在なのではない、しかし、眠っておられる。ここで弟子たちの信仰が試された。主は、「信仰がないのはどうしたことか」と。 主の一言葉で風がやみ、大なぎになった。この時、弟子たちは初めて自然界をも支配しておられる、主の権威と力を知った。大きな驚きであり、恐怖に包まれた。 主は敢えて試みを通されて、信仰を一歩一歩成長させて下さる。 そこでしか成長できない。今、試みにあるなら、まことに主が神であることを知る時だ。主の御力を知る時だ。 ----------------- 祈っても祈っても主は眠っておられるかのように沈黙していると思う時がある。けれど同船しておられるのだ。試みを通る時、信仰の目で見るなら私達の弱さのすべてをご存知の方が、この風を支配されている事が見えてくる。