2009年12月06日(日)

「神は、すみやかに彼らのために正しいさばきをしてくださいます。しかし、人の子が来たとき、はたして地上に信仰が見られるでしょうか」ルカ18:8

この人は裁判官であり、神を恐れず人を人とも思わない人物だ。裁判官だという
事は法律にそって裁くという事だ。人格的にはこういう人だが、やもめが余りに
ひっきりなしにやって来て、うるさいから裁判をする事にした。

こういう人でも、うるさいからの理由で、裁判をするのであれば、ましてや完全
な愛と完全な義をお持ちの神が、正しい裁きをつけずに、放っておかれるわけが
ないという事だ。

つまりこんな人格の裁判官でもそうするのだから「ましてや神は」という事を言
っている。とんでもない人物を出して来て、神がどんなお方であるかを対比させ
ている。

完全な愛と配慮を施して下さり、常に私達の最善を考えて下さっている神なのだ
から、失望はあり得ないと。祈りの執拗さでなく、祈る相手がどんなお方かが重
要だ。神はすみやかに彼らのために正しいさばきをして下さる。

「パンを三つ貸してくれ」としつこく頼み続けて、パンを得た人も、友達だから
でなく執拗さのゆえに勝ち取った。ここでも、ましてや父である神は、執拗さゆ
えでなく、子だから良い物を下さると言っている。

御子を賜うほどに愛し、最善をして下さる神に、失望する事なく信頼し続けよう。
信仰を献げよう。御心にかなう祈りは、必ず叶えられるのだから。

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執拗さがうるさくてたまらないから、対応してくれたが、「ましてや神は」うる
さいからでなく、慈しみと愛のゆえに対応して下さる。今、祈り続けているあの
事、この事を放っておかれるわけがない。必ず答えて下さる。心から信頼して祈
り続けよう。良いものを下さる。