2010年03月06日(土)

「なぜなら、キリスト・イエスにある、いのちの御霊の原理が、罪と死の原理から、あなたを解放したからです」ローマ8:2

私たちは新生し、新しい性質を持つが、同時に生まれつきの古い肉の性質もある。
この性質は天国へ行くまで、この世に生きている間、ずっと存在する。裁いてし
まったり、妬みや憎しみ、怒り、思い煩い、争い、怠惰・・罪の性質だ。

しかし、神に従おうとする新しい性質も同時にある。私たちは「貪るな」と言わ
れると、貪ってしまう。禁止されると、返って欲望がむくむくと湧く。

「〜してはならない」「〜するな」と抑えつけると、返って肉が暴れ、ますます
がんじがらめになり、罪を犯してしまう。これが罪の性質であり、「罪と死の原
理」だ。罪と死の法則であり、下へ下へと罪に落下して行く。法則だから例外は
ない。

しかし、自然なら落下するが、「いのちの御霊の法則」が働いている。例えば、
鳥は下へとは落ちないで、下へ落ちる力に、打ち勝って空を飛ぶ。命があるから
だ。ハンカチは放すと下に落ちる。しかし、途中で手で受け止めるなら、落ちな
い。

下へと罪に引きこむ、罪と死の法則が働いているが、主を見上げ、主に頼って歩
む時、「いのちの御霊の法則」の中に落ちる。御霊は私たちを支え、歩みを助け
られる。「罪と死の原理」より更に強い「いのちの御霊の原理」が今働いている。

「御霊によって歩みなさい・・肉の欲望を満足させることはない」毎日毎日、御霊
に導かれることが大切だ。御声を聞いて、御霊に従って歩む時、肉の歩みから守
られる。ここに救いがある。

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「いのちの御霊の原理」が働く条件は、神に向くことだ。「罪と死の原理」は自
分に向く時に働く。常に、神に焦点を当てて行く時、御霊の力が働き、自分が神
に喜ばれる者に変えられて行く。「人が主に向くなら、そのおおいは取り除かれ
る。御霊のあるところには自由がある」。